とても活発なこどもでした。1歳ちょっとで歩き始め、バナナが好きで、いろいろな色のクレヨンで丸や三角を描いていました。
転勤で宮城の山奥の分校に夫が赴任することになりました。1学年2〜3人で、全校生徒が20人程度。自然豊かで、一平は自然の中で育ちました。 弟とふたりでいつもやんちゃをしていました。机の上からふとんに飛び込んだり、ひざに歯をぶつけて前歯を折ったりしていました。 音楽が好きで、ギターを自分が好きなようにかなでたり、夫が分校に持ち込んでたたいていたドラムをいっしょにたたいたり。 幼稚園に入る年頃になって、障がいのあるこどもを受け入れる施設がないことから、夫を置いて3人で実家のある仙台へ移りました。 こども会では町内会のみこしかつぎをしたり、まわりからはいつも「一平くん」と声をかけてもらい、とてもまわりに恵まれていたと思います。 |
小学校では、弟の影響で「スラムダンク」にはまり、バスケをやったり、スラムダンクのCDをかけながらドラムをたたいたりしていました。ホイッスルが大好きなんですが、それもスラムダンクから始まったものです。このほかにはまったものは、戦隊モノや仮面ライダー、忍者、カッパなど。夢中になるものがずっとありました。
言葉が発せない、思っていることが伝えられないので、下校の時間になっても座り込んだまま動かず、学校に呼ばれることもありました。それがなぜなのか説明できず、私たちも理由がわかりません。興味ある話をして、「見に行こうね」と外へ出したり。 それが、字を覚えてからは、思っていることを紙に書いて伝えられるようになりました。 中学高校は支援学校に通いました。中等部時代は焼き物をしたり、親子で雀踊りの練習に励みました。初恋もこのころです。 目立つこと、みんなの前で何かをすることが好きで、学習発表会などではいつも生き生きとしていました。拍手をもらえると自慢げで。バカ殿が好きで、「世界の人々」という出し物では日本のとのさまの役をやりました。 |
卒業後は作業所に通いました。最初は楽しく通っていたのですが、職員の入れ替わりが多かったためか原因はよくわかりませんが、「もういい」と行かない状態が2年くらいつづき、どこか別のところをと探してアート・インクルージョンを体験しました。楽しく通っているようです。
前の作業所ではじょじょに緊張するようになり、目立つこともあまり好きではなくなっていたようですが、アート・インクルージョンでステージに立つようになって、少し休んでいたドラムもまたたたくようになりました。今は家ではCDをかけながら1時間くらいたたいています。自分では説明できないことが多いので、長く見て判断していくことが多いです。そこだけ見ていてもわからないことが多いですね。 よく紙に書いているスケジュールは、おそらく私や夫が手帳にスケジュールを書き込んだり、それを見て確認するのを見て、その姿が気に入ったんだと思います。月曜から金曜まで、そうじや、ドラムなど、その日に自分がやることを書いて、確かめながら進めているようです。 |